日本のバレンタインデーの起源


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日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史の起源については、

1936年の神戸モロゾフ製菓説
1958年のメリーチョコレート説
1960年の森永製菓説
1965年の伊勢丹説
1968年のソニープラザ説
などがあるが、判然としない。

それぞれの説

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神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説は、東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものです。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告であった。

メリーチョコレートカムパニー説は、同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説です。

また森永製菓が1960年より「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説があります。しかし、「バレンタインデー」の文字がある広告が、昭和31年の西武デパートや松屋の新聞広告や、昭和34年の松坂屋の新聞広告に掲載されています。

ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としています。

ただいずれにしても、すぐに大きな反響があったわけではなく、商品もあまり売れなかったようです。各種の説があるが、バレンタインデーが日本社会に普及したあとに、自社宣伝のために主張されたために誇張も含まれると思われます。

総じて昭和30年代には、バレンタインデーの贈答品はチョコレートであるという意識はまだなかった。当時のバレンタインデーの新聞広告によると、購入を勧める贈答品にチョコレートは登場しなかった。森永製菓の広告ですら、チョコレートは贈答品のおまけとして位置付けられていた。バレンタインデーの起源の一つとされる1960年の森永製菓の新聞広告には、「チョコレートを贈る日」ではなく、「チョコレートを添えて(手紙などを)贈る日」として書かれていた。バレンタインデーに贈答品を贈るのは誰かという点でも女性に限定されていなかった。ただ「愛の日」という点は強調されていた。

日本社会への定着と展開

デパート各店が、バレンタインデー普及に務めていたが、なかなか定着せず、1968年をピークとして客足は減少し、「日本での定着は難しい」との見方もあった。しかし、数年を経て、昭和40年代後半にチョコレートの売上が急増した。バレンタインデーにチョコレートを贈答するようになったのは、小学校高学年から高校生から始まったという。昭和60年代には主婦層にも普及した。

前節で述べたように、当初は、贈答品はチョコレートにも限られていなかったし、誰とも交際していない女子から意中の男子へという形でもなかった。バレンタインデー普及には商業活動が一役買ったことは間違いないが、日本社会に受け入れられやすかった要素とそうでなかった要素があることが指摘されています。現在、一般に「バレンタインデーはチョコレート業界の陰謀」と認識されていることとはうらはらに、バレンタインデー定着の過程には、小学校高学年から高校生の主導的な選択があったことが指摘されています。結果的にいえば、業界の目論見通りには定着しなかった。

昭和50年代前半に、女子が男子に親愛の情を込めてチョコレートを贈るという「日本型バレンタインデー」が社会に定着すると、さらに日本独自の習慣が登場した。昭和50年後半に登場したホワイトデーと義理チョコです。 ホワイトデーの起源については、和菓子屋・石村萬盛堂のキャンペーンと、全国飴菓子工業協同組合の構想が注目されています。 1977年に和菓子屋・石村萬盛堂は、バレンタインデーの返礼としてマシュマロデーを開始した。これは社長が女性雑誌の投稿欄を見て思いついたものだという。1979年には他の菓子店と協同で「ホワイトデー」という名称を用いたとされます。

一方、全国飴菓子工業協同組合の主張によると、1978年6月の組合の総会で、「ホワイトデーキャンペーン」の実施が決定され、1980年に第1回「愛にこたえるホワイトデー」キャンペーンが行われたという。1984年の第5回キャンペーンには各地で品不足になるほどの盛況となり、同組合では、この1984年をホワイトデー定着の年としています。

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